群馬大学 林 耕史
「展覧会で絵を観るのがこんなに楽しいとは!」
こんな感想をもった展覧会がありました。「空間と作品」展(アーティゾン美術館:2024/7/27~10/14)です。その最初のフロアは,全くキャプションが無い展示になっていたのですが,これが実に楽しかったのです。
キャプションとは,作品タイトルや作家名,制作年や材料などのデータが記載されたプレートで,作品解説まで書かれたものもありますね。そのキャプションが全く無い展示だったのです。予備知識なく会場に足を踏み入れた直後は,さすがに戸惑いました。監視係の方になぜ無いのかたずねてしまったくらいです。係の方は「学芸員ではないので私の感覚ですが」と断りを入れた上で次のように丁寧に答えてくれました。「このフロアはサファリパークだと思います。自然の中の動物を見るように。」 明快な答えでした。このフロアのキュレーション意図はまさにここにあると思います。絵や彫刻は,そもそも誰かが所有して楽しんでいたものと言えるでしょう。わざわざキャプションを付けて私邸に飾っていた,なんていう無粋な人もいたかもしれませんが,大概は,自分の好きなところに飾って眺め,至福の時を過ごしていたと思います。動物は名札をぶらさげて生きているわけではありません。絵や彫刻なども同じです。名札をつけて楽しむのではなく,まずは,その「作品そのもの」を観て楽しむわけですから。実際,このフロアでの鑑賞は,「作家が誰で,制作年がいつで,どんな特徴があるのか」という但し書きを飛び越えて,直接作品を味わい楽しむ感覚になりました。正解を求め答え合わせをするような,或いは教わるような鑑賞ではなく,自然に作品を愛でる,という感覚でした。これが本来の鑑賞ではないだろうか,と再認識したのです。
美術館という装置がつくられ展覧会という企画が生まれると,公開のためにその「作品」の素性を明らかにすべく保証書のようにキャプションが添えられるようになります。学校教育における「鑑賞」も,「作品のデータを授ける・承る」ものになってしまっている嫌いがあります。そして「この作品の作者は誰で,どんな題名なのか」という「データとしての知識」を教えるような授業になりがちです。図画工作科の授業ではどうなっていますか。子どもたちと,「キャプションが無い鑑賞」をしてみてはいかがでしょうか。「題名や作者の名前を教える必要はないのか?」と疑問をもたれる方もおられるかと思います。ここで大切な「知識」とは,題名や作者名ではなく,どんな作品なのか,子どもたちが自分の言葉で受け止め考えることによってもたらされる収穫のことです。「筆遣いが柔らかいなあ」「このいろいろな緑色がみずみずしいなあ」「空気の湿り気が感じられるような風景画だなあ」といった感想を大切に受け止めて,その上に,題名や作者名が積み重なり,次の鑑賞へとつながっていく,そんな鑑賞ができるといいですね。
※写真は本文とは関係ありません。運営委員が青森県立美術館で撮影したものです
写真 マルク・シャガール バレエ『アレコ』舞台背景画 青森県立美術館
奈良美智 『あおもり犬』青森県立美術館