横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校 斉藤洋介
現勤務校に着任してから、本格的に図画工作科の研究を始めました。それまでの自分の授業を思い返すと、教科への理解、題材への向き合い方など、まだまだだったなと反省しています。題材に対する理解や授業デザイン…材料の特性の理解など様々ですが、今回は評価について2つの視点を取り上げます。
初任の時、初めての図画工作で行った授業は絵の表現でした。「割れた卵の中からどんな世界が飛び出してくるかな?」という子どもたちがわくわくするテーマに活動の盛り上がりを感じ、私もわくわくしたのを覚えています。その頃は同じ学年の主任の先生の見様見真似で授業を組み立てていました。放課後、主任の先生が廊下に掲示してある作品を眺めながら何かを記録をしていました。「あ、作品をみて(評定のための)評価をすればいいのか。」と、浅はかな私は同じように評価を記録してみました。その後の学年会で何を記録していたかを質問してみると、主任の先生は「(評定のための)評価には表せないよかったところを思い出しながら記録していたんだよ。」と教えてくれました。ハッとした私は、学年会が終わってからこっそり評価の「つもり」で記録した名簿を破棄したことを覚えています。
写真1は第2学年の題材名「かたちをうつして」(絵)の表現活動にて偶然生まれた表現です。黒の絵の具が用紙にこぼれたのを刷毛で伸ばしたところに、友達が持っていた黄色の絵の具がぼたぼたと乗っかったそうです。これを「(評定のための)評価」として題材の評価規準に合わせて記録すると、「自分が切り取った画用紙の形が表れて(写せて)いない【知識・技能】」、「表したいことを基に技能を働かせられていない。【思考・判断・表現】」などとなるでしょうか。それを(評定には示さない)個人内評価として記録すると、「黒に黄色の点々がいい感じだね。」や「黒の絵の具に黄色がにじむ様子、ぼわーっとしていてずっと見ていられるね。」と、いつかくる表現に取り入れられそうな経験として価値付けられると思います。(実際にこんなやり取りをしました。)
右図写真1
また、写真2~4では、第4学年「まぼろしの花」(絵)の表現活動での作品の移り変わりです。自分のイメージをかき終えたと満足そうにしている児童の作品(写真2)に、向かい側で活動中の児童の筆に着いていた赤い絵の具のかたまりが飛んできました。「うわあ!」と叫んだ後、「これ伸ばしたらいい感じになるんじゃない?」とおもむろに視界に入ったローラーを手に取り(写真3)、かたまりをのばしたのです。偶然撮影できたので記録に残せたのですが、完成した作品(写真4)を見ても写真2、3の様子は読み取れません。飛んできた絵の具に対する発想、それを表す技能は、活動中に発揮されていたのですから。まさに感性が躍った時間だったのではないでしょうか。(評定のための)評価には示せませんが、全く別次元の内容ではない実態が図画工作ならではの評価だと感じています。
私の初任の時のような「作品への価値付け」ではなく、「活動への価値付け(個人内評価)」は、図画工作科の目標にある豊かな情操を培うのに大切であると考えます。もちろん鑑賞の視点から作品へのアプローチは欠かせません。授業者として、紹介したような「活動への価値付け」である個人内評価が題材の評価規準(評定につながる)とつながる時間を過ごせると、私自身「明日も図工やりたい!!」とより思うようになります。そして活動時間を終えた児童も、同じような内容をいつもより多く言ってくれます。「次の図工はいつですか!?」と。こんなにも嬉しい瞬間はありません。