白百合女子大学 椎橋げんき
〜9月18日月例研、石賀先生の実践発表「このさき ちゅうごく」から〜
子どもが教室で遊んでいる時、入り口の扉は全開なのにそこから出ない子どもたち。
廊下で遊んでいても、ある一定の場所からその先に行かない子どもたち。
乳児期(未就園児)の子どもは、自身の安全基地をベースに徐々に活動範囲を広げていきます。安全だとわかれば、どこにでも行きます。「いらんこと」もし放題です。一方で、幼児期(年少児〜)になると、先述したように、段々となんとなく遊びのフィールドに見えない壁が出てきます。この壁の要因は一つではないかと思います。
今回の実践発表は大前提として「異国」の壁が「言葉」によって強制的に立ち上がってきます。活動開始時の子どもたちの表情やつぶやきの様子から、その壁を認識することができます。しかし、石賀先生も指摘していたように、子どもの表情が柔らかくなるにつれ、その壁は硬度を失い、お互いが混ざり合う空間に変容していた様子に驚かされました。
そして、初めて出会うこのよくわからないものをみんなで持って、丸めたり握ったり、幼児もお兄さんやお姉さんもほとんどにたような行為で関わり、だから同じような楽しさを感じているのが伝わってくる。それがなんだかよくわからないけど、心地いいし、感触も気持ちいい。土粘土の持つ素材力を改めて感じました。
また、聞こえてくるわからない言葉はきっと意味を失い、楽しい思いを乗せた音になっていたのではないでしょうか。それを支えていたのは、中国語を話していた学生の皆さんでしょう。子どもの気持ちに寄り添った、眼差し、笑顔、材との関わり。なにより、安心感を行動力にできる子どもたちを育んだ実践園の保育者の日々の保育がいかに愛情豊かなものなのか、伝わってきました。
子どもが「自己と社会をつなぐ」プロセスにおいて、思いがつながる大切さを今一度考えさせられる時間でした。