白百合女子大学 椎橋げんき
絵の具で遊ぶ。
触れる、ただ混ぜる、いっぱい混ぜる、机の絵の具を手のひらで伸ばしてみる、指を使って伸ばしてみる、違う素材にも同じことをやってみる、指で線を描いてみる、描いて模様にしてみる、誰かと一緒に描いてみる、相手のドロドロの手に触れてみる、絵の具のついた手で握手をしてみる、腕まで塗り広げてみる、絵の具を手でかき集めてみる、手で掬ってみる、手の隙間から絵の具を落としてみる、べちゃべちゃ落ちる絵の具を眺めてみる、落ちた絵の具の形の痕跡を見立ててみる、見立てた痕跡に指で加筆をしてみる、友達に見せる、先生に見せる。
当日の子どもたちの姿から拾った一例です。
「絵の具で遊ぶ」と言ってもぱっと思いつくだけでも、子どもはこれくらいの「ナニカ」に出会っています。
そして、この例であげた子どもの姿の背景に大人の声がけや直接的な関わりはありません。
なんもしてないです。少なくとも、子どもには「あいつは何もしてない」と思っててもらえる存在でいることを僕は大事にしています。
しかし、めちゃ忙しいです。頭フル回転です。
では、どこの場面で、何をしているか。
おそらく上記の子どもの絵の具遊びであれば、文脈における「、」の部分です。
言葉の部分を子どもの動き出しとするなら、そこから「、」にさしかかるまでに、環境をこそっと変えています。
そして「、」の後半で、子どもの情動にフックをかけています。
例えば、
最後の「友達に見せる」「、」「先生に見せる」。
子どもが友達に見せている様子に気付いたら、「もしかしたらもっと教えたくなるのでは?」「できれば先生に教えたいって思ってもらいたいな」という淡い期待。期待の先にある「めあて」の芽生え。
だから、子どものそばにちょっと寄ってみる。
なんなら、子どもが探さなくていい。顔をあげたら先生がいた、って場所。
どこだ。
ここしかない。
次は、向き。
子どもが呼んでからでは子どもには一手間。熱量は秒単位で急激に下がっていく。
子どもが顔をあげた時に、こちらの視界に入っていて、何となく気付き、目が合ってしまう。そんな向き。
この向き。
けど、早すぎたら他の子どもの同じ現象に対応できない。
タイミングは、、、「今だ!」
『先生に見せる』
刹那の時間、そして、同時多発的。
子どもが顔をあげた時、そこに僕がいなかったらそれはそれで違うストーリーが紡がれていると思います。
それもまた一興。
これが正解のない世界線。
ただ、もし「私」に気付かなかったら?
大丈夫。これだけ考えたんだから検証可能。
次の「、」にいかそう。
「、」は山ほどある。
「、」は子どもの思いと大人の試みの「あわい」。
「あわい」という柔らかな響きの奥に、バッチバチな化学反応が起きています。
けど、僕はなんもしてません。
それを講座で感じてもらえていたら幸いです。
では、来年も会いましょう。



